shinshin136’s blog

建築勉強中の日々を綴る日記ブログ

建築の評価軸

事務所で働き始めて2年が経過しようとしている。

建築というよりもデザインのなんたるかが身についたような気がする。

どこか建築を見に行く時にはまずは全体を眺めて、

その後内部に入ってしまえば専ら細部の納まりばかり確認するようになった。

ホテル特集の雑誌なんかを見て良い空間だなんて思ってしまった時に、

デザインが良ければ良い空間なのか?

繊細なディテールから構成されるシンプルで無駄のない空間が良い建築なのか?

と、今一度その建築の何を評価するのか、

自分の中でその評価軸ぐらいは整理しておいた方がいいだろうと思い立った。

思想(哲学)・新規性(提案性)・空間体験・光・ディテールの5つに分類して

一つ一つ整理してみようと思う。

 

1. 思想(哲学)

大学時代に学んだ建築は、その建築が構成される理論や社会への提案性など、

コンセプトの良し悪しの比重が大きかったように思う。

その空間の家具や仕上げ材、色味や線の数などから感じられる、

内部空間の「雰囲気」というものを突き詰めて提案するような仲間は一人としていなかった。

自分自身も例に漏れずコンセプトという名の、

その建築の理論をまず第一に考えることが多かった。

事務所で学び始めコンセプトとは縁の遠い設計ばかりを目にしてきた2年間だったが、

やはりその建築のもつ背景、

もっというとその建築家のエゴとも言える思想・哲学の重要性は捨てきれない。

よく見かける箱物のボリュームになんとなく綺麗にデザインされたファサード・内部空間、

建築家の役割はそんなものを設計・生産することではないはずだ。

今まで誰もしてこなかったことに挑戦し、既成観念を破壊し建築を新しい時代に導いてやる、

といった熱量の感じられる作品こそ評価されるべきではないのだろうか。

すなわちまず第一に、その建築で表現したかった何かを感じることができるかどうか、

その建築に込められた思想的(哲学的)背景、ここを重要な評価軸の1つに充てたい。

 

2. 新規性・提案性

第二に、その建築が表現する思想・哲学の新規性や提案性を評価したい。

ル・コルビュジェが提案したピロティ空間や、

建築設備をあえて全面に押し出した

リチャード・ロジャースレンゾ・ピアノのポンピドゥーセンター、

ザハ・ハディッドやフランク・O・ゲーリーのような流線形のデザイン手法は、

その方法があったかと、なぜそんなことをするのかと、こんなこともできるのかと、

その当時建築界に大きな衝撃を与えたことは想像に難くない。

アーキグラムメタボリズムの活動など、

建築に大いなる夢を抱き社会に提案していった建築家も数多く存在する。

アンビルドのものも多いのだろうが、

社会や経済と言った大きな波に呑まれる事なく

こんなにも純粋に建築と向き合っていたのかと憧れすら抱いてしまう。

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そんな彼らの建築への情熱とでもいうべき思想表現が、

低層部と街の連続性を意識した大規模ビルや

パラメトリックデザインという手法を今や見慣れたものへと定着させ、

建築界の動向を大きく左右してきたのであろう。

 

建築に込められた思想・哲学によって、建築界ひいては社会に大きな影響を与えうる建築こそ

真の建築として評価されるべきではないのだろうか。

 

3. 空間体験

上記2つの評価軸はまずその建築と向き合った時に考える、マクロの視点での評価軸である。

3つ目では建物へ入り内部空間を体験した時に感じられる感動を取り上げようと思う。

ファサードは流線型で良くデザインされた魅力を放っている建物の内部空間が、

どこまでいっても幅や奥行き、天井高さの変わらない均質な空間であれば、

それを良い建築だったと評価することはできないだろう。

内部と外部が完全に乖離している様はもはやハリボテのそれと言っても差し支えないし、

見栄えだけを気にして良くできた装飾をお化粧した建物を良い建築といえるだろうか。

外部からの印象が必ずしも内部と一致していなければならないわけではないが、

魅力的な建築というものはその内部空間が外に漏れ出すような、

そんな外観をしている気がしてならないのである(していてほしいのである)。

 

かなり極端で横暴な例になってしまうが、

Javiel Senosiainのケツァルコアトルの巣がまさしくこれに該当する。

簡単に解説すると、外は蛇(本当に蛇)、中は蛇の体内(本当に体内)、

のような空間が見事に演出されている。

彼の作品は社会性を孕んでいないがためにあまり表立って評価はされていない(気がする)が、

我を貫く芸術家的姿勢がなんとも、個人的に"刺さる"のである。

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どの作品にも共通して見られるOganicな(臓器的な)内部空間に、何かの生物を思わせる外観。

一貫して自分の思想を貫き通す姿勢は、受け手側にも作者の意図が良く伝わるものである。

SANAAの薄くて透明な表現も既に消費されたなんて言われることもあるけれど、

建築の歴史の1ページを飾ったことは間違いないし、

それでも尚自分の表現を貫く様は見ていていっそ清々しいものである。

 

また、ここで述べておかなければならないものが、

建築の空間を絶対的に規定するもの、構造の話である。

この構造への積極的アプローチなしには魅力的な空間体験は成し得ない。

柱梁でグリッドを組むだけでは必ず限界がくる。

ものすごく簡単に建築の歴史を振り返れば、

西欧での組石造に始まるであろう建築空間は最初は設ける開口部にも制約がかかっていた。

なんとか開口部を大きく取ろうとアーチ状の組積方法が生み出され、

さらにアーチを連続させることでトンネル状・ドーム状の空間を編み出した

(多分ギリシャやローマの時代)。

それ以降近代の産業革命後、鉄・コンクリート・ガラスの登場までは

〇〇様式のような装飾美が争われていただけだが、

技術の進歩によって新材料を積極的に取り入れることが可能になり、

より自由な空間を実現することが可能となった。

 

現代では新材料の導入というよりはさらなる技術の進歩による構造的挑戦が、

今までに見たことのない魅力的な空間を演出し得るものとして期待される。

台湾国家歌劇院(伊東豊雄)やKAIT広場(石上純也)、リボンチャペル(中村拓志)などは

その最たる例として挙げることができるだろう。

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また、構造をデザインするという手法により新たな空間も生み出される。

芸術科学都市(サンティアゴ・カラトラバ)やVessel(トーマス・ヘザウィック)などは

構造が美しくデザインされ魅力的な空間が創出されているし、

東南アジアならではという感じではあるが、

Nocenco cafe(ヴォチョンギア)などは、

竹を用いた空間表現が新しく非常に魅力的な空間となっている。

 

▽芸術科学都市▽

<http://www.bubblemania.fr/ja/2002-la-cite-des-arts-et-des-sciences-valence-espagne/>

▽Vessel▽

<http://www.heatherwick.com/projects/spaces/vessel/>

▽Nocenco cafe▽

casabrutus.com

 

色々述べてきたが建築の評価軸としてはシンプルで、

空間体験として均質なものより変化(起伏)のあるものの方が、

体感する側としては感動を呼び起こされやすいだろうし、

また、素直に感銘を受けるものであることは間違いない。

そんな空間が創出されているということは、

建築を評価する上での重要な一軸となってもおかしくはないだろう。

 

4. 光

建築は主に人が活動することを前提としているため、

光という名の明るさは欠かせない重要な要素となり得る。

ここでいう光とは照明器具による明るさの確保ではなく、

建築に穿たれる開口部から入る光の重要性である。

科学技術が発展し昼夜問わず光に溢れた生活が可能となった現代において、

建築それ自体で光を調整する必要があるのかと言われそうな気もするが、

エネルギーはいつか尽きる(尽きずとも現状の総人口を賄えるほどの供給は永遠ではない)、

という個人的見解に基づき光を評価軸の1つに充てたい。

 

光の持つ効果は大雑把に言って、その空間に対する心象心理を決定づけるところであろう。

光が全く入ってこない真っ暗な空間であればある種の不安や恐怖感を、

逆に屋根などかかっておらず光に溢れた空間であれば気持ちが晴れ渡る開放感を、

そしてその中間、ある空間内で明暗の差が現れ始めると不安や恐怖感はなくなり、

さらに開口部の絞り方次第では開放感も消え去ってしまう。

この、絞られた開口から漏れてくる光は開口部付近を柔らかく照らし、

開口部から遠ざかるにつれて仄暗くなっていく空間を演出する。

この空間で我々が感じられ得る心理は、

背筋が正されるような緊張感とでも言うべき、荘厳な、静謐な、神々しい、

と言った形容詞で表現される空間体験となるのではなかろうか。

竹林寺納骨堂(堀部安嗣)や狭山の森礼拝堂(中村拓志)など、

薄暗い空気感の中に程よい緊張感が漂っている建築に魅力を感じずにはいられない。

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余談だが、建築雑誌GAを見ていると白黒の写真は必ず出てくる。

これはきっと建築に入ってくる自然の光を明暗のみで表現しようとする試みなのだと、

勝手に解釈しているのである。

そして、やはり光は重要だと再認識するのである。

 

5. ディテール

最後は建築の最もミクロな部分、ディテールである。

ミースファンデルローエの言った"God in Details"は当然大学時代にも聞いた言葉だが、

正直言って学生時代には全く意味の分からなかった言葉でもある。

幸いなことに現事務所では、これは建築をしているのか?

と思えるほど納まりや見え方にこだわっているため、

ディテールという言葉の意味は理解できた気がする。

デザインとの境界線が曖昧になりがちなのだが、

建築に表れてくる様々な要素をデザインすることを、

ここではディテールと定義することとする(ディテールも広義ではデザインと同義と捉える)。

開口部一つをとっても枠を見せるのか見せないのか、

床と壁の仕上げ材の選定に始まり、現場での勝ち負けをどうするのか、

実際に作っていく上での細かな気配りが求められるのがディテールである。

そしてこの気配りが最終的に立ち現れる空間に、

前述の光との相乗効果で大きな影響を与える。

 

daita2019(山田妙子)の鉄パイプが力強く雑多で楽しげな印象を与えるのに対し、

六甲枝垂れ(三分一博志)の木組みは一見バラバラに見えるものの、

全体として統一感が生み出され美しさ・緊張感を孕んでいる。

これはファサードの木とスチールの接合部に目立つ金物を使用せず

余計なものを省いたことによる効果、細かな気配りの成果である。

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こう言った気配り一つで空間の持つ印象が変わってしまうのだから、

ディテールという要素も建築を評価する上で大切にしていきたいと思うのである。

 

まとめ

設計事務所という社会団体に属し学んでいる以上見え隠れする、

建築の持つ経済性について建築の評価軸には加えなかった。

それは経済を優先すればマンションや高層ビルなどに見られるような、

同じ平面をただ積層させるだけのつまらないものができあがると考えているからである。

そして、経済と建築の程よい妥協点を見つけ建築を作ることにも全く意味を見出せないし、

経済の干渉によって建築がより良いものになるとは到底思えない。

建たなければ意味はないと言われるのも理解できるが、

建築家はあくまでも芸術家、すなわち表現者であるという立場のもと、

純粋に自身の建築哲学を追求していくことを目標に、

建築家という表現者になれるよう一歩ずつ地道に日々邁進していこうと、

決意を新たにするのである。

 

建築とディテール②

建築とディテールについて、

前回の内容は少し違ったのかもしれないと最近考えるようになった。

 

前回、「建築は思想、ディテールはデザイン」と述べた。

建築については考えに変化はないが、

ディテールについて、

デザインと結論づけるのは早急だったかもしれない。

デザインが関与することは間違いないと思うが、

それとは別に、建築のシェルターとしての

機能を担保する役割もあるという考えが

最近芽生えたのである。

 

事務所に通い始めて1年半が経ち、

最近は建築の納まりこと、

ディテールの図面を描くことが増えた。

事務所の過去作に使われているディテールを

参考にして図面を引いていると、

この納まりのポイントはどこだろうか?

ここの寸法はどうしてこの数値なのか?

という疑問が出てくるようになった。

また、納まりを現場監督さんに伝える際に、

「図面の通りに施工してくれ」ではなく、

ここはこういう仕様にしたい、

という「思い」を伝えることの方が

重要だと気づいたからである。

きっかけは、代表の「寸法を描きすぎてはダメ、

図面通りの寸法で施工した結果、

何か問題が起きた際に対処するのはあくまで工務店

設計事務所では責任は取れない、

必要な寸法は相談して決めるものである」といった旨の言葉。

一見責任逃れの言い分に聞こえるかもしれないが、

これが「優しい付き合い方」なのだろうと感じた。

建築の見え方だけを意識した寸法を強引に施工させ、

雨漏りが起きでもして困るのは施主と施工会社

(この場合、設計事務所は訴えられる可能性があるが)。

そうではなくて、

設計者として建築のシェルターとしての役割(快適な住空間)を

担保するという所までを意識して決定されるものが、

ディテールなのではなかろうか。

 

前回述べたディテールが技術的なディテールと言えるのに対し、

今回述べたディテールは実用的なディテールと言える。

この2つがディテールと言われるものの構成要素であり、

デザインという分野は、このディテールを

技術的にも実用的にも今までなかった(できなかった)地点まで

到達させようとする試みとも言えるのかもしれない。

 

と、最近思うのである。

建築とディテール①

前回、建築家と職人について書き殴った。

建築家の傲慢さに疑問を呈し、ディテールがあくまで建築の一要素にしか過ぎないこと、

建築とはマクロとミクロの世界を往復することが大切だと述べた。

 

そして今回は建築とディテール。

事務所に入ってからずっとモヤモヤしていた、ディテール。

うんざりするほどの、線を統一することへのこだわり。

これは建築なのかと、甚だ疑問であった。

今回そのモヤモヤが晴れた一言がある。

「建築は思想、ディテールはデザイン」

このワードが不意に降りてきて全てがクリアになった。

「god in details」の意味も漸く理解できた気がする。

 

建築の歴史を見てもわかるように、名作と呼ばれるものたちは

何かしら当時の社会に対して影響や変化を及ぼしている。

つまり「建築」とはその時代の社会にメッセージを伝えることである。

もっとこういう過ごし方をした方がいい、

もっとこう言う表現をした方がいい、

なぜそんなことをしているのか、と。

それは、新しい都市の提案や、流行り廃りに対する確固たる意思、

自己表現、まだ見ぬものへの熱い想い、などである。

そう言った表現者たちの思想を元に表現されたものが、「建築」である。

コルビュジェの輝く都市、ロンヘロンのウォーキングシティ、

ガウディの植物的表現、鉄とガラスによる透明で軽くて薄い表現の追求、

ゲーリーやザハの流線型、全て表現者の社会に対する思想・メッセージである。

 

一方で「ディテール」とはデザインである。

執拗なまでの細部へのこだわり、それはもはや職人のもつそれである。

職人の作ったものには魂が宿る、というとずるい表現かもしれないが、

この異常なまでのものづくりへのこだわりこそが、建築に神を宿すのである。

質の良い素材の選定、木目やタイルの表情・割り付け、流行に対する敏感さ、

1mmの世界に対するこだわりを以てして空間を作り上げていく技術・思考である。

 

つまり、

建築という表現者の思想(エゴ)に、

ものづくりへの執念を付与すること、

言い換えるなら、

社会背景を含んだマクロの視点を持つ表現と、

ものづくりというミクロの視点を持つ拘り。

この2つが完全に調和した表現・空間こそが、

真に建築と呼べるものなのかもしれない。

 

と最近思うのである。

 

建築家と職人

今回のエッセイ

建築家と職人

日々の設計事務所生活で感じるディテールへのこだわりについて思うところをまとめました。

 

設計事務所に通い始めて9ヶ月が経過した。建築の実務について流れは把握できた気がする一方で、「建築」というものに抱いていた理想と現実とでもいうべきものを目の当たりにしている気がする。

 私がお世話になっている事務所は、基本的に建築が社会においてどういった役割を持ちいかにして役立つかを提案する事務所ではなく、専ら住宅の依頼をお施主さんの望み通りに実現させようとする傾向にある。その中で、すっきりとしてかつ上品で、無駄がなくノイズの少ない空間になるようディテールを詰めていくことに腐心する。空間の雰囲気というものを大切にしており、室内の色や表情をよく検討している。大事なことだとは思う。しかし、インテリアデザイナーとの境界線、工務店などの職人達との違いはどこにあるのだろうか。自社で設計施工ができる工務店は数多く存在するし、実際に建築を建てるのは職人達なわけだから、ディテールにより詳しいのも建築家というよりも職人達ではなかろうか。建築家は職人達に無理難題を強い、出来上がったものに対して評価を下しているだけである。自分では施工しないくせに文句ばかり言ってなんとも傲慢である。そのことだけを見るにつけても、ディテールを追い求めて行くのは建築家にとって空間の質を高めるためにも必要なことだとは思われるが、それだけで建築家を名乗って良いものなのかと、建築という学問はそれだけではないと、常々感じるのである。つまり、ディテールだけであれば建築家よりも職人の方が造詣に深いはずである。仕上げの選定についても同様である。結局空間の雰囲気だけで建築と言うものの良し悪しは決まらないし、建築の世界において仕上げはあくまで建築を構成する要素の一部に過ぎない。そもそも「雰囲気」などという曖昧なものによって絶対的評価が下されるのもおかしな話である。それは個々人によって異なるものであって、好みである。かっこいいなんて言葉はその時々の流行に乗っているか否かである。建築を構成するさまざまな要素一つ一つが洗練されかつ互いに不協和音を鳴らしていない「総合的な空間」として建築は出来上がるのである。

 建築の世界においてもう一つ大切なことがある。それはその建築物のもつ背景である。建築の背景には社会性を孕んでいるものと孕んでいないものの2種類ある。前者は建築家と言う仕事を全うしていると言えるし、後者は芸術家としての仕事を全うしていると言える。結局建築は社会の一部である限り社会貢献して然るべきなのも認められるし、一人の建築家が構想した独りよがりな彫刻でありそう言った新しい造形に惹かれることも否定できない。この二点において建築は評価されるべきであり、どちらか一方に偏るのではなく両方を満たしかつ今までになかった新しい提案であることが重要なのである。

 上記二つの建築を評価する軸は、ミクロとマクロという言葉に集約される。即ち、各構成要素が洗練かつ統一(ミクロ)され、その建築が革新的な社会性(マクロ)を孕んでいることが建築を評価する上で重要なのである。建築とはこのミクロとマクロの視点を行き来し二つの世界を結びつける行為である。

和歌浦アートキューブ/下吹超武人/2003

和歌浦アートキューブ/下吹越武人

 

今回は2020年9月22日(火)に訪れた下吹越武人設計の和歌浦アートキューブを紹介します。

※アートキューブに行く際は、ホール見させていただけませんか?

 と事前に電話で交渉しておきましょう。

 これは必須事項です。

1. 和歌浦アートキューブに行く

最寄駅は和歌山市紀三井寺(きみいでら)駅。

そこから30分ほど歩いたら着きます。

長いな、と思うかもしれませんが

歩いてる間に和歌山を感じましょう!!

特に何もありませんでしたが!

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紀三井寺から和歌浦アートキューブまで

 

2. 和歌浦アートキューブに着いたら

アートキューブに着いたらまず周りを散歩しましょう!

自然豊かで絶景の街和歌浦を堪能できます。

すぐ近くにある「不老橋」と一緒に写真を撮ると良い感じになりました!

建物はほとんど見えてませんが。

 

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和歌浦アートキューブwith不老橋

 

ファサードもわざわざ刃先を出して見つけを細くしてあります。

勤めている事務所でもよくしているのですが、

なんとなく代表にアートキューブをおすすめされた理由が分かりました。

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メインファサード 

 

3. 中に入ってみる

周りを散歩し終わったら事務所に行って見学予約の旨を伝えましょう。

すぐに案内してくれます。

今回私は当日利用してなかった部屋全てを見させていただきました!

本当にありがとうございました!!

 

その中でもやはり一番はホールでした!

案内してくださった方のご厚意でルーバーを実際に動かしてくれました!

金色の可動式ルーバーで日射をコントロールしつつ、

この金色が太陽光に照らされて水面のように揺らめく様は素晴らしかったです!

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揺らめく光

アートキューブは基本的に部屋を貸し出す、

もしくはイベントを開催することで

芸術文化の振興を図ることを目的に建てられているので、

ダンスやバレエなどができる鏡貼りの部屋、

講習や会議などを行える座学の部屋、

必要に応じて変化できる家具などのない部屋等がありました!

今回使用中で見学できませんでしたが、音楽用のスタジオもあるようです。

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ダンスホール

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一般教室

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会議室

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可変の部屋

4. 空間構成に想いを馳せる

アートキューブのボリュームは4つの箱が距離をとって配置されています。

そうすることで箱の隙間に居場所ができて

そこでも人々の活動が行われるようになる、

という意思を勝手に感じたのですが、

実際にはやはりそもそも利用客が少なく閑散としているため、

その隙間で活発に活動が行われている様子は見受けられませんでした。

 

しかし、外部でも活動できるように設計するということには非常に共感できるし、

むしろ建築の「主」と「従」が逆転しているような空間に魅力を感じる、

つまり外部での活動が大半を占め、内部での活動はたまにしか行われない、

という建築を目指している私からすると、

アートキューブにはその片鱗を見て取ることができた点はよかった。

 

一昔前から中間領域だとか廊下を大きく取って

共有空間を設けるような設計はよく見られるようになったけど、

まだまだ内部の占める割合が圧倒的に多いのが現状だと感じる。

 

こういった動向の先に私の目指す建築像が

あるのだろうと最近考えるようになったし、

可能であればその道を自分で切り開いていきたい。

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ハコとハコの隙間

なんてことをアートキューブの渡り廊下からぼーっと考えていました。

 

5. アートキューブを見たら

アートキューブを見終わったらせっかくなので

和歌山市内に出てみましょう。

和歌山城のあるあたりがメインかなと思ったのですが、

まあ、和歌山だったなという感じでした。

和歌山の方ごめんなさい。

 

お城のすぐ隣に黒川紀章設計の和歌山市現代美術館があるので

ついでに見てくるのが良いかと思います!

黒川さんの建築はクアラルンプール国際空港に行きたいな

とは感じるものの、美術館系はいまいち良さが分からないので、

誰か語れる方がいらっしゃったら是非お話したいです!

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観光ルート

 

6. 終わりに

以上、下吹越武人設計の和歌浦アートキューブでした!

見に行く際は、

電話での事前相談

をお忘れなく!

 

以下は下吹越さんのHPと和歌浦アートキューブのHPです!

www.aae.jp

www.city.wakayama.wakayama.jp

梨花女子大学/ドミニクペロー/2008

梨花女子大学/ドミニクペロー

今回は2019年12月に訪れたドミニクペロー設計の梨花女子大学を紹介します!

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1. 梨花女子大学に行く

梨花女子大学は

韓国のソウル・Ewha(イファ)に位置する女子大学です。

基本的に自由に出入りできる上に男女ともにたくさん人がいるので

女子大学だからといって臆することはありません。

堂々といきましょう。

下の写真のココ!と書かれている範囲の谷になっているところが

ドミニクペロー設計の建築です。

最寄駅からは学生街のような通りを歩いて10分ほどでした。

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梨花女子大学はココ!

ソウル駅からだと一度北上して電車を乗り換える必要がありますが、

ソウル駅から乗り換え駅まで全然歩ける距離(10~15分)です。

韓国の街並みを楽しみましょう!

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ソウル駅から梨花女子大学まで

 

2. 梨花女子大学についたら

そろそろかな?と思って進んでいくとその片鱗が少しだけ覗いていて、

目の前に行くと圧倒的なスケール感の人工的に作られた壮大な谷が現れます。

 

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そろそろかな?

 

鳥肌が立ちました。

コンセプトがこれでもかというほど明快な建築。

一歩間違えると谷に机や椅子を置いてしまいそうだけど、

そういったものが一切ない。

果たしてこの空間は本当に意味のある実用的な空間なのか、

とも思っては見たものの、周りの人たちも皆、

この空間を目的に訪れているように見えるという逆説。

 

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突然現れる全貌

 

建築それ自体が人々の活動の目的になっている様を見ると、

やはりこの建築は成功していると思わざるを得ない。

というか完全に心を掴まれた。純粋に好き。

自分の設計理念とは違うけども、この建築には圧倒された。

 

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反対側から谷を見る

 

3. 中に入ってみる

メインを十分楽しんだら一階部分のみ入れるので入りましょう。

個人的には特に響く部分はありませんでした。

この建築の魅力は全て間の谷に詰まっていました。

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でも谷側を向いて見える景色は近代建築っぽくてよかった。

Photoshopの加工もうまくいった気がするので

肉眼でこのイメージが見れると期待しないでください。

 

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谷側を見た写真

 

4. 終わりに

以上ドミニクペロー 設計の梨花女子大学でした!

とても素晴らしい建築なのでソウルに行く際にはぜひ訪れてみて下さい!!

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谷底から見上げる

 

島根県芸術文化センター グラントワ/内藤廣

 

島根県芸術文化センター グラントワ/内藤廣/2005

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グラントワ 外観

朝からバイクに乗って内藤廣氏設計のグラントワこと

島根県芸術文化センターに行ってきました!

さすがの島根県益田市、無料駐車場完備かつ館内も人が少ない!

(コロナの影響かもしれないけど...)

 

グラントワは真っ赤な石州瓦をこれでもかと外壁にまで使用した建築です。

一度瓦が落ちて問題になった事もあるのだそう。

建物への入り口は数カ所あり、ここから入って!と主張するような

エントランスはどこにもなく、どこから入っても

裏側から入っているような気分になります。

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エントランス

 

内部は石州瓦の赤を基調にした落ち着いた雰囲気の上品な空間。

床の仕上げが艶出しとなっていたけど特に気にならなかった。

自分の勤めている事務所は艶出し一回も使った事ないらしいけど...

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内部の様子

 

グラントワで一番好きだったのが美術館のエントランスロビー!

左右対象の奥行きを強調した半円状の天井に美しい空間が演出されていました!

ベンチに座って何時間でもいられるような気になりました!

ちなみに美術館常設展の入館料は一般300円でした。

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美術館エントランスロビー

 そして中庭も魅力的でした!

この中庭を中心にロの字型に平面計画がされているので

間違いなくここがグラントワの中心部!

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水盤のある中庭

 

残念ながらホールに入ることはできませんでしたが、

見学予約というものがあるそうです。

ホールに入れなくても美術館内、ホール内以外は無料で自由に見て回れます。

が、グラントワに行く際にはホールの事前予約を忘れずに!