shinshin136’s blog

建築勉強中の日々を綴る日記ブログ

建築家と職人

今回のエッセイ

建築家と職人

日々の設計事務所生活で感じるディテールへのこだわりについて思うところをまとめました。

 

設計事務所に通い始めて9ヶ月が経過した。建築の実務について流れは把握できた気がする一方で、「建築」というものに抱いていた理想と現実とでもいうべきものを目の当たりにしている気がする。

 私がお世話になっている事務所は、基本的に建築が社会においてどういった役割を持ちいかにして役立つかを提案する事務所ではなく、専ら住宅の依頼をお施主さんの望み通りに実現させようとする傾向にある。その中で、すっきりとしてかつ上品で、無駄がなくノイズの少ない空間になるようディテールを詰めていくことに腐心する。空間の雰囲気というものを大切にしており、室内の色や表情をよく検討している。大事なことだとは思う。しかし、インテリアデザイナーとの境界線、工務店などの職人達との違いはどこにあるのだろうか。自社で設計施工ができる工務店は数多く存在するし、実際に建築を建てるのは職人達なわけだから、ディテールにより詳しいのも建築家というよりも職人達ではなかろうか。建築家は職人達に無理難題を強い、出来上がったものに対して評価を下しているだけである。自分では施工しないくせに文句ばかり言ってなんとも傲慢である。そのことだけを見るにつけても、ディテールを追い求めて行くのは建築家にとって空間の質を高めるためにも必要なことだとは思われるが、それだけで建築家を名乗って良いものなのかと、建築という学問はそれだけではないと、常々感じるのである。つまり、ディテールだけであれば建築家よりも職人の方が造詣に深いはずである。仕上げの選定についても同様である。結局空間の雰囲気だけで建築と言うものの良し悪しは決まらないし、建築の世界において仕上げはあくまで建築を構成する要素の一部に過ぎない。そもそも「雰囲気」などという曖昧なものによって絶対的評価が下されるのもおかしな話である。それは個々人によって異なるものであって、好みである。かっこいいなんて言葉はその時々の流行に乗っているか否かである。建築を構成するさまざまな要素一つ一つが洗練されかつ互いに不協和音を鳴らしていない「総合的な空間」として建築は出来上がるのである。

 建築の世界においてもう一つ大切なことがある。それはその建築物のもつ背景である。建築の背景には社会性を孕んでいるものと孕んでいないものの2種類ある。前者は建築家と言う仕事を全うしていると言えるし、後者は芸術家としての仕事を全うしていると言える。結局建築は社会の一部である限り社会貢献して然るべきなのも認められるし、一人の建築家が構想した独りよがりな彫刻でありそう言った新しい造形に惹かれることも否定できない。この二点において建築は評価されるべきであり、どちらか一方に偏るのではなく両方を満たしかつ今までになかった新しい提案であることが重要なのである。

 上記二つの建築を評価する軸は、ミクロとマクロという言葉に集約される。即ち、各構成要素が洗練かつ統一(ミクロ)され、その建築が革新的な社会性(マクロ)を孕んでいることが建築を評価する上で重要なのである。建築とはこのミクロとマクロの視点を行き来し二つの世界を結びつける行為である。