shinshin136’s blog

建築勉強中の日々を綴る日記ブログ

建築とディテール①

前回、建築家と職人について書き殴った。

建築家の傲慢さに疑問を呈し、ディテールがあくまで建築の一要素にしか過ぎないこと、

建築とはマクロとミクロの世界を往復することが大切だと述べた。

 

そして今回は建築とディテール。

事務所に入ってからずっとモヤモヤしていた、ディテール。

うんざりするほどの、線を統一することへのこだわり。

これは建築なのかと、甚だ疑問であった。

今回そのモヤモヤが晴れた一言がある。

「建築は思想、ディテールはデザイン」

このワードが不意に降りてきて全てがクリアになった。

「god in details」の意味も漸く理解できた気がする。

 

建築の歴史を見てもわかるように、名作と呼ばれるものたちは

何かしら当時の社会に対して影響や変化を及ぼしている。

つまり「建築」とはその時代の社会にメッセージを伝えることである。

もっとこういう過ごし方をした方がいい、

もっとこう言う表現をした方がいい、

なぜそんなことをしているのか、と。

それは、新しい都市の提案や、流行り廃りに対する確固たる意思、

自己表現、まだ見ぬものへの熱い想い、などである。

そう言った表現者たちの思想を元に表現されたものが、「建築」である。

コルビュジェの輝く都市、ロンヘロンのウォーキングシティ、

ガウディの植物的表現、鉄とガラスによる透明で軽くて薄い表現の追求、

ゲーリーやザハの流線型、全て表現者の社会に対する思想・メッセージである。

 

一方で「ディテール」とはデザインである。

執拗なまでの細部へのこだわり、それはもはや職人のもつそれである。

職人の作ったものには魂が宿る、というとずるい表現かもしれないが、

この異常なまでのものづくりへのこだわりこそが、建築に神を宿すのである。

質の良い素材の選定、木目やタイルの表情・割り付け、流行に対する敏感さ、

1mmの世界に対するこだわりを以てして空間を作り上げていく技術・思考である。

 

つまり、

建築という表現者の思想(エゴ)に、

ものづくりへの執念を付与すること、

言い換えるなら、

社会背景を含んだマクロの視点を持つ表現と、

ものづくりというミクロの視点を持つ拘り。

この2つが完全に調和した表現・空間こそが、

真に建築と呼べるものなのかもしれない。

 

と最近思うのである。