建築とディテール①
前回、建築家と職人について書き殴った。
建築家の傲慢さに疑問を呈し、ディテールがあくまで建築の一要素にしか過ぎないこと、
建築とはマクロとミクロの世界を往復することが大切だと述べた。
そして今回は建築とディテール。
事務所に入ってからずっとモヤモヤしていた、ディテール。
うんざりするほどの、線を統一することへのこだわり。
これは建築なのかと、甚だ疑問であった。
今回そのモヤモヤが晴れた一言がある。
「建築は思想、ディテールはデザイン」
このワードが不意に降りてきて全てがクリアになった。
「god in details」の意味も漸く理解できた気がする。
建築の歴史を見てもわかるように、名作と呼ばれるものたちは
何かしら当時の社会に対して影響や変化を及ぼしている。
つまり「建築」とはその時代の社会にメッセージを伝えることである。
もっとこういう過ごし方をした方がいい、
もっとこう言う表現をした方がいい、
なぜそんなことをしているのか、と。
それは、新しい都市の提案や、流行り廃りに対する確固たる意思、
自己表現、まだ見ぬものへの熱い想い、などである。
そう言った表現者たちの思想を元に表現されたものが、「建築」である。
コルビュジェの輝く都市、ロンヘロンのウォーキングシティ、
ガウディの植物的表現、鉄とガラスによる透明で軽くて薄い表現の追求、
ゲーリーやザハの流線型、全て表現者の社会に対する思想・メッセージである。
一方で「ディテール」とはデザインである。
執拗なまでの細部へのこだわり、それはもはや職人のもつそれである。
職人の作ったものには魂が宿る、というとずるい表現かもしれないが、
この異常なまでのものづくりへのこだわりこそが、建築に神を宿すのである。
質の良い素材の選定、木目やタイルの表情・割り付け、流行に対する敏感さ、
1mmの世界に対するこだわりを以てして空間を作り上げていく技術・思考である。
つまり、
建築という表現者の思想(エゴ)に、
ものづくりへの執念を付与すること、
言い換えるなら、
社会背景を含んだマクロの視点を持つ表現と、
ものづくりというミクロの視点を持つ拘り。
この2つが完全に調和した表現・空間こそが、
真に建築と呼べるものなのかもしれない。
と最近思うのである。